前回のカササギの記事を書いた際にふと思い出したことが2つありました。
1つは大学時代の語学の授業中での出来事です。
先生からどういう経緯か忘れましたが「佐賀にはカチガラスと呼ばれている鳥がいるのですが何の鳥か知っていますか?」という意味合いの質問を我々学生にしたのです。
テキストの内容が鳥関係だったのか忘れましたが。
大学に入り、久々に野鳥活動を再開して充実した野鳥活動を送っていた時期ですから「カササギです」と私が即座に答えました。
まさかの即答に火が付いたのか、そこからは先生と私だけの野鳥談義が5分以上は続いて授業が中断したと記憶しています。
なんだこの2人は?と他の学生は思っていたことでしょう。
こちらが本題で、もう1つは宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」にカササギが登場していたことです。
あいまいな記憶なので、改めてカササギの登場する個所を読み直しました。
以下、原文です。
「まぁ、あの烏。」カンパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子が叫びました。
「からすではない。みんなかささぎだ。」カンパネルラがまた何気なく叱るように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。まったく川原の青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光を受けているのでした。
「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びていますから。」青年はとりなすように云いました。
かおるが「まぁ、あのからす。」の発言に対し、カンパネルラの叱るように叫ぶ答えは、ちょっと感じ悪いですね。
ただ作品の中ではカンパネルラは聡明で優しい人間として描かれており、あのセリフは興奮状態の中でふと自分自身に言い聞かせて知識の確認しているとも解釈できます。
誤解されるようなセリフですが、ジョバンニが思わず笑うところに、親友の性格をきちんと理解して受け入れる気持ちを表現しているように感じました。
私も探鳥中に「オオメダイチドリではない。みんなメダイチドリだ。」と優しく語りかけるようにしたいですね(努力目標)。
書評は置いといて、今回の1番の突っ込みどころは最後のセリフ「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びていますから。」です。
カササギは後頭部に冠羽が有りませんので問題発生です。
確かに「よだかの星」のヨタカを始め賢治の作品には野鳥が多く登場しており、賢治は鳥類全般の知識は間違いなく持っていたと思います。
しかし、賢治はカササギについては詳細には知らなかったとのではないか?
もしカササギを観察していればもちろん、実際に観察しなくとも、例えば博物館の標本、野鳥図鑑等で見たことがあれば、冠羽があるとは書かないはずです。
それでは賢治が冠羽があると間違って表記するほどに知らないカササギをあえて登場させたわけは?
ここで七夕伝説の登場です。
七夕伝説ではカササギは七夕に織姫と彦星が天の川で再会する際に自らが架け橋となって二人を引き合わせる役目を果たすために登場します。
銀河鉄道の夜でカササギが登場する場面も、かささぎを見つけたかおるとその弟が天に召される間際に家族に会いたいという思いが込められている場面です。
再会の象徴としてカササギを登場させたと思われます。
そして七夕伝説は日本の古くからの民話として時代を超えて語り継がれたり、題材とした絵が有名無名を問わず描かれてきたと思います。
時の経過と共にカササギという野鳥の容姿に尾ひれならぬ冠羽が付いて、賢治がその話や絵を受けて、あのセリフを書いたのではないでしょうか。
面白いのは、「青年はとりなすように云いました。」とありますが、後世に冠羽付きのカササギという問題を生じてさせているのですから、全然とりなおしていませんよ!というツッコミを入れておきます。
それとも賢治の承知の上でのユーモアなのでしょうか?